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地名の一致は阿波忌部進出の痕跡か? ④ 讃岐國編

★ 那珂郡(なかぐん)は、かつて香川県に存在した郡。讃岐国西部の郡、那賀郡ともいう。
明治 多度郡と合併して仲多度郡となり消滅。


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大麻神社(写真・善通寺市デジタルミュージアム

☆ 式内社 讃岐國寒川郡 大蓑彦神社(大麻神社)

鎮座地 善通寺市大麻 
御祭神 天太玉命

香川県仲多度郡にある有名な「金刀比羅宮」から北西約1・5Kmの象頭山の北東麓に鎮座しています。
善通寺市は、上記仲多度郡から分離した自治体で地域的には一体(仲多度郡の中に挟まれる形で存在)です。


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♪ こんぴら 船々 追手に帆かけて シュラシュシュシュ
  廻れば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 ♪


往古、阿波忌部氏が讃岐国に麻を伝え、祖神「天太玉命」を祀り、大麻と崇めたものです。

ちなみに、徳島の阿波国一宮は、鳴門市大麻大麻比古神社。
御祭神は、天太玉命です。


さすがにお隣だけあって、実にわかりやすい痕跡です。


☆ 式内社 讃岐國多度郡 雲氣神社 

  鎮座地 善通寺市
  御祭神は諸説あり。豐受大神・大龍神・大雷神となっているが、
  他に、天御中主神水波女神大己貴命

御祭神は他にも、闇靇高靇という「雨神」がおられ、「龍」「雷」「水波女」、ナーガを代表する「大己貴命」と、水に深いかかわりのある神社であることがわかります。

「豐受大神」は阿波の神である「大宜都比売神」と、同じ食物神として、一般的に同神と言われています。
大宜都比売は、イザナギの命・イザナミの命の御子として、国生みの後の「神生み」の中に出てきます。

一方、豐受大神は、イザナミの命の尿(つまり水神を表す)から生まれた二柱の神のうち、ワクムスヒの神の御子です。
もう一柱の神、ワクムスヒの兄弟が、上記「水波女(ミツハノメ)」です。


日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 弥都波能売神社

ミツハノメ神社(式内社、日本全国で阿波にしか存在しません。



☆ 式内社 讃岐國苅田粟井神社 名神大 
  
  鎮座地 香川県観音寺市粟井
  御祭神 天太玉命


那珂の地からは外れますが、同じ忌部の痕跡の強い神社を紹介します。
地図を見れば一目瞭然、香川県の旧那珂郡から西、県西部一帯に阿波忌部進出の痕跡が多く残っています。

逆に、香川県東部は、畿内の古墳のルーツである、より古い時代の小型前方後円墳が多数出土し、徳島と合わせて四国東部が日本建国のルーツであることの根拠となっています。
現在発見されている前方後円墳の中で国内最古のものが、徳島県の鳴門市大麻(上記大麻比古神社の鎮座地)「萩原墳丘墓」なのですが、3~4世紀の前方後円墳の数だけ見れば、香川県58基、徳島県12基と香川が圧倒しています。



古墳だけでなく、香川東部の神社・地名も、徳島とストーリー的に一体となり、古代天皇に関わる大変な地です。


粟井神社・由緒~
上古、讃岐は西讃を中心として讃岐忌部の氏族が開墾殖民の業に努力した土地であります。
従ってこの忌部氏は自分たちの祖神である天太玉命氏神として齋き祀り、同胞的精神を呼び起こして一致団結をはかりました。
忌部氏の精神生活の目標になったものは、西讃の南隅に鎮座まします粟井の御社でありました。
この神社は、古くは刈田大明神とも称え奉り、刈田一郡を以て神供料に当て奉りましたので、郡名を神田郡といったとも言われています。
後の豊田郡がそれで如何に御神威の宏大であったかを察することが出来ます。
社伝によれば、忌部氏天日鷲命より三十一代目の武持の二男久名という人が本社を奉遷したとありますが、年代は上古とのみで詳かではありません。

続日本紀』『延喜式』などの記述から讃岐最古社と推測されるのがこの粟井神社です。
境内社の奥には、当社が遷座してくる以前にあったといわれる「杉尾神社」があります。
杉尾神社が阿波の神社であることは前回紹介済みです。

社名、地名の「粟」は「阿波」のことで、御祭神も忌部氏の祖「天太玉命」。
粟井」が「阿波居」の意味であるという説もあります。
由緒には「天日鷲命」の子孫が当社を奉遷したと記されていますが、天日鷲命は阿波忌部の祖ですから、讃岐忌部が阿波よりの分家であることがわかります。
阿波忌部と讃岐忌部については、別の機会に詳しく書きたいと思います。


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忌部神社(三豊市豊中町笠田竹田忌部)


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