空と風

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イザナミの命は男神か?

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伊射奈美神社(美馬)

今年の初詣は、伊射奈美神社へ参りました。

12月の後半に妻の実家で不幸がありまして、「喪中」ということで年賀状などは控えました。
ネット上の挨拶はさせていただきました。

神道の場合、喪中とされる50日間は、神社を参拝してはいけない、言われています。
当家と妻の実家は、ともに浄土真宗なので、本来「喪」というものは存在しません。

神道に「喪」があるのは、「死を穢れ」と、とらえる考え方のためといわれます。
古事記』では、亡くなった「伊邪那美命」に会うため、黄泉の国へ行った「伊邪那岐命」が、

「吾者到於伊那志許米志許米岐【此九字以音】穢國而在祁理。【此二字以音】故、吾者爲御身之禊。」

「吾は、いな しこめしこめ き 穢國に到りてありけり。故、吾は御身の禊 爲む」

と、黄泉の国を「穢國(きたなきくに)」と言い、そのため御身を禊(みそぎ)されました。


神話や神道に興味のない人でも、政治家が悪事・不祥事を働いた後の選挙を「禊の選挙」などと表現するのを耳にしたことはあるでしょう。
禊で祓い落すものは「穢れ」であり、禊の行為とは「水に流す」ことです。

宗教に興味がない、宗教が嫌いだ、という多くの日本人も「穢れ」「禊」などを、感性としてDNAに受け継いでいることは、自分の身を振り返ればよくわかるでしょう。
「汚れ」ではなく「穢れ」というものが理解できる、「水に流す」という態度を美徳と感じる感性など、他国人にはないものを持っているはずです。

古事記』のこのような話が人心に影響を及ぼしたのか、神道の教義なのか、古代の日本人に元々備わっていた死生観が反映されたのか、無知な私は知りません。
が、現代の日本人にまで影響を及ぼしていることは確かです。

その禊祓いが行われた場所は、

「到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】原而、禊祓也」

「竺紫」「日向」之「橘」「小門」之「阿波岐原」

と、記され、地名とも地形とも形容詞ともとれるこの5つの記号の中で、頭の二つを取って「九州の日向」と断定しているようなのですが、本当なのでしょうか?

「之」が入るのが2か所ですから、

「竺紫日向」の「橘小門」の「阿波岐原」なのですが、さあ、どれが地名なのでしょう?

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伊射奈美神社(穴吹)

話がそれました。
このやり取りの後で、

「故、號其伊邪那美神命、謂黄泉津大神

伊邪那美神命を號(なず)けて、黄泉津大神と謂う」

と、記されます。
「津」は「水辺」。阿波の古代史研究家たちが「黄泉の国」とする四国山地の一部、そこからイザナギの命が逃げ帰ったとされるのが南東方向、いわゆる「長の国」。
イザナミの命が祀られているのは、反対方向北部の高越山、その下を流れる吉野川中州。つまり水辺。
「黄泉“津”」大神、まさに読んで字の通り。正確に記されています。


上記のとおり、伊邪那美神命は黄泉の国の大神となられました。

その黄泉の国の大神に参るのに、喪中もへったくれもあるでしょうか?
それで、私は胸を張って参拝したのです。

実は神社や神主によっては「喪中など関係ない」いつでもウエルカム、というところも多いのです。
「死は穢れ」だから参拝しないなどと言ったら、逆に伊邪那美命に怒られるのではないでしょうか?


実は、私は伊邪那美命男神だったのではないか?と考えています。
こっちのほうが逆にお怒りを買うかもしれません。
「もし、私が失礼なことを書いても、悪意はなく、真実が知りたいだけですからおゆるしください」とお願いしておきました。

それは「国生み」とは、神話上の「天地創造」などではなく、高天原の「支配地拡大」「建国の下準備」だと思っているからです。

「於是、天神諸命以、詔伊邪那岐命伊邪那美命、二柱神、修理固成是多陀用幣流之國、賜天沼矛而、言依賜也」

「諸々の天神たちは、是(この)多陀用幣流(ただよえる)國を、修(おさめ)理(つくり)固(かため)成(なせ)」と
「天沼矛(あめのぬぼこ)を二柱の神に与えて命令」しています。

武器の「矛」を与えているというのは、私は「軍隊を預けた」のだと考えています。
高天原軍を率いて、二神は、まだただよえる(支配者も国も定まらぬ)未開の地を平定するため山を下ったのです。

そのような危険な役目を神々は女神に託すでしょうか?
もし女神だったとしても、彼女はジャンヌダルクのような方だったのでしょう。
夫婦神による国生みとは、あくまで物語上の比喩だと思います。


古事記には、二神における国生みにおいて、最初の失敗談が記されています。

簡単にいえば、

伊邪那岐命は、天之御柱の周りを左回りに、伊邪那美命は右回りに周って(途中省略)国を産もう」

としたのであるが、失敗。
その原因は、「女神である伊邪那美命男神である伊邪那岐命に先に声をかけたから」とされています。

どなたの解説も、この「女が先に出しゃばったのがいけない」という書かれたままの解釈から抜けられないのですが、私はこれは“象徴”だと思うのです。

説明すると、イザナミは国家平定の「ルート」を「右回り」にしようと主張。
イザナギは、逆に「左回り」に進攻しようと主張したのでしょう。
早い話が「作戦会議」です。

イザナミが先に声をかけたとうのは「右回りルート」の侵攻を強弁に主張したということです。
結果は、高天原元老院会議により却下、イザナギ案が採用されます。
この当時すでに外交の中心地は北九州。
どの方面を先に支配するか、後回しにするかは、非常に大事な決定事項だったと考えられます。

そして「国生み」は、その決定通り、淡路~四国~九州~中国~近畿と左回りに平定あるいは同盟されていくのです。
伊邪那美命の死因も「戦死」「負傷死」の可能性があります。


詳しい国生みの話は、また別の機会に。



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