伊射奈美神社(美馬) |
今年の初詣は、伊射奈美神社へ参りました。
12月の後半に妻の実家で不幸がありまして、「喪中」ということで年賀状などは控えました。
ネット上の挨拶はさせていただきました。
ネット上の挨拶はさせていただきました。
「吾者到於伊那志許米志許米岐【此九字以音】穢國而在祁理。【此二字以音】故、吾者爲御身之禊。」
「吾は、いな しこめしこめ き 穢國に到りてありけり。故、吾は御身の禊 爲む」
と、黄泉の国を「穢國(きたなきくに)」と言い、そのため御身を禊(みそぎ)されました。
宗教に興味がない、宗教が嫌いだ、という多くの日本人も「穢れ」「禊」などを、感性としてDNAに受け継いでいることは、自分の身を振り返ればよくわかるでしょう。
「汚れ」ではなく「穢れ」というものが理解できる、「水に流す」という態度を美徳と感じる感性など、他国人にはないものを持っているはずです。
「汚れ」ではなく「穢れ」というものが理解できる、「水に流す」という態度を美徳と感じる感性など、他国人にはないものを持っているはずです。
『古事記』のこのような話が人心に影響を及ぼしたのか、神道の教義なのか、古代の日本人に元々備わっていた死生観が反映されたのか、無知な私は知りません。
が、現代の日本人にまで影響を及ぼしていることは確かです。
が、現代の日本人にまで影響を及ぼしていることは確かです。
その禊祓いが行われた場所は、
「到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】原而、禊祓也」
「竺紫」「日向」之「橘」「小門」之「阿波岐原」
と、記され、地名とも地形とも形容詞ともとれるこの5つの記号の中で、頭の二つを取って「九州の日向」と断定しているようなのですが、本当なのでしょうか?
「之」が入るのが2か所ですから、
「竺紫日向」の「橘小門」の「阿波岐原」なのですが、さあ、どれが地名なのでしょう?
伊射奈美神社(穴吹) |
話がそれました。
このやり取りの後で、
と、記されます。
「津」は「水辺」。阿波の古代史研究家たちが「黄泉の国」とする四国山地の一部、そこからイザナギの命が逃げ帰ったとされるのが南東方向、いわゆる「長の国」。
イザナミの命が祀られているのは、反対方向北部の高越山、その下を流れる吉野川中州。つまり水辺。
「黄泉“津”」大神、まさに読んで字の通り。正確に記されています。
「津」は「水辺」。阿波の古代史研究家たちが「黄泉の国」とする四国山地の一部、そこからイザナギの命が逃げ帰ったとされるのが南東方向、いわゆる「長の国」。
イザナミの命が祀られているのは、反対方向北部の高越山、その下を流れる吉野川中州。つまり水辺。
「黄泉“津”」大神、まさに読んで字の通り。正確に記されています。
上記のとおり、伊邪那美神命は黄泉の国の大神となられました。
その黄泉の国の大神に参るのに、喪中もへったくれもあるでしょうか?
それで、私は胸を張って参拝したのです。
それで、私は胸を張って参拝したのです。
実は、私は伊邪那美命は男神だったのではないか?と考えています。
こっちのほうが逆にお怒りを買うかもしれません。
「もし、私が失礼なことを書いても、悪意はなく、真実が知りたいだけですからおゆるしください」とお願いしておきました。
こっちのほうが逆にお怒りを買うかもしれません。
「もし、私が失礼なことを書いても、悪意はなく、真実が知りたいだけですからおゆるしください」とお願いしておきました。
「諸々の天神たちは、是(この)多陀用幣流(ただよえる)國を、修(おさめ)理(つくり)固(かため)成(なせ)」と
「天沼矛(あめのぬぼこ)を二柱の神に与えて命令」しています。
「天沼矛(あめのぬぼこ)を二柱の神に与えて命令」しています。
古事記には、二神における国生みにおいて、最初の失敗談が記されています。
簡単にいえば、
どなたの解説も、この「女が先に出しゃばったのがいけない」という書かれたままの解釈から抜けられないのですが、私はこれは“象徴”だと思うのです。
イザナミが先に声をかけたとうのは「右回りルート」の侵攻を強弁に主張したということです。
結果は、高天原元老院会議により却下、イザナギ案が採用されます。
この当時すでに外交の中心地は北九州。
どの方面を先に支配するか、後回しにするかは、非常に大事な決定事項だったと考えられます。
結果は、高天原元老院会議により却下、イザナギ案が採用されます。
この当時すでに外交の中心地は北九州。
どの方面を先に支配するか、後回しにするかは、非常に大事な決定事項だったと考えられます。
詳しい国生みの話は、また別の機会に。
(▼0▼)/~~see you again!