百襲姫(ももそひめ)は、8歳のころから成人するまで「水主」の地に住み、その後、この「船岡」付近に移住した、と伝えられます。
旧大内郡には、百襲姫に関する諸々の伝説が残され、たんに神社の御祭神として祀られたのではなく、現実の生活の痕跡が感じられます。
旧大内郡には、百襲姫に関する諸々の伝説が残され、たんに神社の御祭神として祀られたのではなく、現実の生活の痕跡が感じられます。
もちろん香川では、百襲姫は大和(奈良)から水主へ来られたと言い伝えられていますが、それは日本人のほとんどが勘違いしている「大和(大倭)」=「倭」という混同のせいです。
姫は、隣国阿波から来たと考えれば、よりリアルな実話として実感できるでしょう。
姫は、隣国阿波から来たと考えれば、よりリアルな実話として実感できるでしょう。
② 京都市北区
⑨ 石川県白山市鶴来八幡町
⑫ 高知県南国市
鎮座地を「船岡山」と稱す。
地図を見ると、やはりというか、川や池のそばにあることが多いようです。
全てを詳しく調べていませんが、ざっと地図を見ると下のような点に気付きました。
全てを詳しく調べていませんが、ざっと地図を見ると下のような点に気付きました。
阿波古代史、阿波忌部に興味のある人であれば、あれあれと思うような地名が出てきました。
このくらいかなあ?
と思っていて、・・・ちょっと待てよ!
と思っていて、・・・ちょっと待てよ!
たいへんなことを忘れていました。
続きはまた後日に。