空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

船岡山の謎 ①

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前回、船岡山古墳について書いたのですが、私がこの古墳について興味を持ったのは、
水主神社 の御祭神、倭迹々日百襲姫の関係を連想したからです。

百襲姫(ももそひめ)は、8歳のころから成人するまで「水主」の地に住み、その後、この「船岡」付近に移住した、と伝えられます。
旧大内郡には、百襲姫に関する諸々の伝説が残され、たんに神社の御祭神として祀られたのではなく、現実の生活の痕跡が感じられます。

もちろん香川では、百襲姫は大和(奈良)から水主へ来られたと言い伝えられていますが、それは日本人のほとんどが勘違いしている「大和(大倭)」=「倭」という混同のせいです。
姫は、隣国阿波から来たと考えれば、よりリアルな実話として実感できるでしょう。



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その船岡山古墳のすぐ近くには、讃岐国一宮「田村神社」が鎮座し、御祭神は「水主神社」と同じく、倭迹々日百襲姫となっています。


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田村神社

その地から、同時代の3世紀中頃~4世紀前半の前方後円墳が出てきたのですから、仮にご本人ではなくとも関係者か?と興奮したわけです。



ところで、私はこの「船岡山古墳」という名前に何かひっかかっていたのです。
どこかで聞いたことがあるよなぁ、と。

そこで、検索してみました。
「船岡」という地名は多いので「船岡山」という地名・山名だけ(他にもあると思いますが)書いてみます。





⑤ 奈良県吉野郡吉野町




⑨ 石川県白山市鶴来八幡町



⑫ 高知県南国市



また、香川県 木田郡三木町鹿伏に「天神社」がありますが、その由緒(香川県神社誌)には、

 鎮座地を「船岡山」と稱す。

 天命年間の創祀なりといふも定かならず。
 官社考証附録には元慶五年十一月十四日従五位下を授けられし
 讃岐国船山神は或は當社ならんかといへり。

と書かれています。
この三木町鹿伏は、水主神社から田村神社に至る街道の中間地点になり、近くには、式内「布勢神社」が鎮座します。

東近江市船岡山の近くには、「布施神社」があり気にかかります。


地図を見ると、やはりというか、川や池のそばにあることが多いようです。
全てを詳しく調べていませんが、ざっと地図を見ると下のような点に気付きました。


奈良県船岡山は、文字通り「吉野」にあり、北を「吉野川」が流れます。


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和歌山県船岡山は「紀の川吉野川下流)」の中州にあり、
  近くに「那賀」と「麻生津」の地名があります。


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新潟県小千谷市船岡山のすぐ下には、「猿田彦神社」があります。
  阿波國一の宮大麻比古神社」の御祭神は、忌部の神「大麻比古大神」と「猿田彦大神」です。

福井県船岡山の横を「吉野瀬川」が流れ、近くには「吉野」の地名があります。


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高知県船岡山近くには、「伊達野」の地名があります。
  阿波の忌部の「射立郷」は「吉野川」のほとりにあります。


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偶然一致する船岡山という山名・地名もあるでしょうが、どこかしらにルーツがあって、同じ名がつけられるケースもあるのではないか?
という観点で地図を眺めています。

阿波古代史、阿波忌部に興味のある人であれば、あれあれと思うような地名が出てきました。

このくらいかなあ?
と思っていて、・・・ちょっと待てよ!

たいへんなことを忘れていました。

続きはまた後日に。