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爾斯智王とは垂仁天皇か?

 
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韓国国立中央博物館が3日、1921年朝鮮総督府が発掘した新羅時代積石木槨墳の慶州・金冠塚(5世紀半ば~後半に築造)で出土した環頭大刀に「尒斯智(イサチ) 」という字が確認されたと発表した。

環頭大刀を保存処理する過程で、鞘先金具(金銅)である鐺(こじり)部に銘文があることを確認して、これを判読した結果「尒斯智王」という字を確認した。「尒」は「爾」の俗字で、爾斯智王となるが、三国史記と三国遺事に登場する新羅上古期王の中で誰に該当するかは明らかにはできなかった
[聯合ニュース]

 
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積石木槨墳(石囲い木槨)は、日本では徳島・香川にそのルーツが有り、最古のものは、鳴門市大麻町の萩原2号墓弥生時代末期の2世紀末~3世紀初頭)。

金冠塚はその名のとおり豪華な金冠が出土しているが、そこにはヒスイ製の勾玉が散りばめられている。朝鮮半島で勾玉が出土するのは5世紀~であり、縄文弥生時代から作られていた日本がそのルーツとみられる。

 
 
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第11代垂仁天皇(活目入彦五十狭茅尊・伊久米伊理毘古“伊佐知”命)は、崇神天皇の第3皇子で、母は大彦命の娘の御間城姫。実在は4~5世紀ころと思われる。

埼玉の稲荷山古墳から出土した剣にはそのオオヒコの名が刻まれ、「辛亥年(5世紀末~6世紀初め)七月中記、乎獲居(ヲワケ)臣、上祖名意富比垝(オホヒコ)」とあり、剣の主ヲワケはオホヒコ7代目の子孫で、「杖刀人の首(親衛隊長)として仕え今に至る。ワカタケル大王(雄略天皇)がシキの宮にあるとき、吾は天下を治めるのを補佐した」と、続く。

 
 
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きれいな字体で、字の部分に金が埋め込んである

天皇の時代には、任那新羅との関係が深く、アメノヒボコツヌガアラヒトと、朝鮮渡来人の逸話も多い。(内容省略)
 
新羅上古期の王の中に、その名を確認できない“イサチ”王とは、いったい誰なのか?
 
時代、古墳形態、副葬品などから見ても、垂仁天皇・イサチ命である可能性が無いとは言えないのではないか?
 
ただし、これが天皇陵だと言うのではない。
刀は天皇から下賜されたものではないか?彫り込まれた字体や彫り方がほぼ同時代の稲荷山古墳出土の剣のものと比べてお粗末すぎるからだ。下賜された者が後から自分で刻んだのかもしれない。

 
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