空と風

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太龍寺の“例の”場所

 
姪が彼氏を連れて遊びに来まして、ぜひ若き日の空海が虚空蔵求聞持法を修行した太龍寺を参拝したいと申すので行って参りました。
 
いえ決して、ロープウェイに乗りたかっただけではありません。
 
ところが私のことですから、当然興味は、“あっち”の方に向かいます。
ロープウェイを降りるなり、一人、寺院とは逆の方向へ足が向かいます。
(現在「本堂」は台風被害の修復で参拝できません。他は可)
 
過去に一度参拝していますが、そのころは阿波の古代史に無知で、ただの「お寺」として参ったに過ぎませんでした。
 
 
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そこそこ険しい勾配の道を往きます。
 
 
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大師様がお迎えに来られます。ここからはかなりの急坂です。
 
 
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神武天皇がこの山にいらしたと、あの空海が、そう言っておるわけです。
 
写真の上方にも社の屋根が見えますが、こちらには天照大神が祀られています。
 
 
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後ろを振り返りますと、
 
 
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空海の像が見えます。
空海は、この場所で虚空蔵求聞持法を唱えたのです。
 
 
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上に空海の後ろ姿が見えますが、そこへ登ってみました。
 
 
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大師様、何を見ておられるのですか?
恐れ多くも横に立ち、問うてみました。
 
 
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ほれ。あれがのお、
 
筑紫(つくし) 日向(ひむか)の (たちばな)の  小戸(おど)の 阿波岐原(あわきはら) じゃ。
 
倭の国を東に尽きた 朝日に向かう 橘の海  そしてそこへ流れこむ小川のほとり 阿波岐原 じゃ。
 
いにしえ、伊邪那岐命が禊祓いし、天照大神がお生まれになった場所よ。
 
ほしてのちに、神武天皇五瀬命とともに東方(ひむかしのかた)に都を造ろうと、ここで誓うたんじゃ。
 
 
 
大師様は、まっすぐ、橘湾を見据えておりました。
 
空海のお墨付きが得られた1日でした。