空と風

旧(Yahoo!ブログ)移設版

いのちをいただく

 
先日、車で移動中、たまたまラジオで途中から聞いた話ですが、心を打たれたので書いてみます。
屠殺場に務めるAさん(名前を忘れたので仮にAさんとします)の手記のような文章でした。
前半を聞いていないのと、記憶に頼って書くために、細部は異なると思いますが、大体こんな内容です。
 
Aさんは、屠殺場で働くことになったが、もともと心優しかったのか、動物好きだったのか、牛を殺すことに非常に抵抗を感じていました。
この仕事は自分に向いていない、近いうちに辞めよう、そう考えていました。
しかし、あることがあって、Aさんは、もう少しこの仕事を続けようと思ったのです。
 
ある日のこと、1台のトラックが屠殺場に入ってきました。
しかし、いつまでたっても誰もやって来ず、牛を降ろす様な気配もありません。
Aさんが様子を見に行き、トラックの後ろを覗くと、小学生くらいの女の子が、荷台につながれた牛を撫でながら泣き、何度も何度も、
 
 みーちゃん、ごめんね。 みーちゃん、ごめんね。
 
と呟いていました。
トラックを運転してきた女の子のおじいさんは、
 
 この牛は、この子が生まれた頃から、ずっとこの子と一緒に育ててきたんです。
 なので、一生うちで飼うつもりでした。
 でももう、この牛を売らんと正月が越せんのです。
 
と、言います。
Aさんは(もう限界だ。この仕事は続けられない。この牛は私には殺せない。)と思いました。
牛が屠殺されるのは翌日と決まったので、Aさんは仕事を休むことにしました。

帰宅したAさんは、自分の小学生の息子に、このことを話して聞かせます。
 
 お父さんには、あの牛は殺せない。だから明日は仕事を休むんだ。
 
その夜、就寝しようとしたところへ息子がやってきて、Aさんにこう言いました。
 
 お父さん。その牛はお父さんが殺してあげてよ。
 心のない人が殺したら、その牛も女の子もかわいそうだよ。
 だから、お父さんが殺してあげて・・・。

Aさんは、布団の中で悩みましたが、決心し、翌朝屠殺場に向かいました。

 
牛は、自分が殺されることを察知してか、暴れてじっとしません。
Aさんは心を込めて牛に話しかけます。
 
 仕方がないんだ。ゆるしてくれよ。
 
心が通じたかのように、徐々に牛はおとなしくなります。
牛を屠殺するときは、急所を一撃で仕留めます。急所を外すと牛に強い苦しみを与えるのです。
 
 お前を苦しませたくないんだ。いいか、じっとしてるんだよ。
 
牛は、じっと動かなくなりました。
そのとき、Aさんは、初めて、牛がその目から涙を流すのを見ました。
 

というお話です。

私は、自分の子供の頃の光景を思い出しました。
私が幼い頃は、うちにも牛がいましたし、農家では牛を飼っている家が少なくありませんでした。
牛が現在の農耕機の代わりを担っていたのです。
それで何かの理由で牛が逃げ出して、近所を走り回るのを大人たちが追いかけて捕まえたり、嫌がる牛を無理やり引っ張っていく光景を見ることが度々ありました。
子供の私には分かりませんでしたが、売られることを悟った牛たちだったのかもしれません。
年老いて死んでいくまで農家が牛の面倒をみるなんて考えられませんから。
正確な場所は覚えていませんが、そのころ、町外れの山間部に屠殺場がありました。
その方向へ牛が引っ張られていくのを何度か見たことがあります。
牛は嫌がって動こうとしない。
「はよ来んか」と、鼻輪についたロープを引っ張られ、数歩進んでは立ち止まる、の繰り返しです。
鼻輪のついた鼻からは血が流れています。
私は子供の頃から動物が好きだったので、その時の牛の顔もずっと見ていました。
牛の目からは涙がこぼれていました。
 
 
 
こういう命を私たちはいただいて生きているんです。
宗教や思想のからみで、牛は食べては駄目だとか、豚は駄目だとか、四足の生き物は駄目だとか、肉は全部駄目だとか、色々言う人はいますが、全て命を持った生き物なんです。
鳥も魚も、植物野菜も皆生きてるんです。
命を奪うことに変わりはなく、人間をはじめ生き物は全て他の生命を食して生きてるんです。
だから日本人には「いただきます」という精神があるのに、そんな心のかけらもない奴らが、「牛はいいんだ。鯨を食う日本人はゆるさない」とか自己中な理屈を振り回す世の中です。
そればかりか日本でも、給食のときに「金払ってるのに、何で、いただきますと言わなきゃいけないんだ」とか言うような阿呆親まで出てくる始末。
 
 
この話の元ネタを探したところ、ある本に書かれていることがわかりました。
坂本さんという実在のかたが講演などで話された内容だそうです。
子供向けに書かれた本だそうで、小学校の教材にでもしたらどうでしょうか。
 
 
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