鳴門市の「北灘漁業組合・さかな市」です。
すく近くに有名な「びんび家」があります。
東京にいたとき、派遣先の会社で「今度いなか(徳島)に帰ることになりました」と言うと、「へぇ~、徳島ですか。びんび家、ですね」と言われたくらい?有名な魚料理の大衆食堂です。
当時、私は知りませんでしたが・・・。
いつも駐車場に入るのさえ困難なほどの店で、特に県外ナンバーが目立ちます。
そんな立地条件の場所に、地元の漁港が、食堂と売店を併設した施設を今年オープンしました。
食堂の外に生簀があり、注文を受けるとそれをさばきます。
各種いきづくり料理も並びますが、今日は、海鮮丼(上)と、おまかせうずしお御膳を注文しました。
嫁は、海鮮丼(極み)3800円を頼もうといったのですが、びびりました。
海鮮丼の中身は、日によって変わります。(嫁は2度目の来店)
醤油をかけると、エビが動きます。
刺身のマグロ(中とろ)は、どこかよそから仕入れていると思うのですが、かなり新鮮でした。
味は付け合せも含めて全体に薄味で、素材の味重視といったところでしょうか。
わさびも全然辛くありません。
海鮮丼1500円、うずしお御膳1800円。
コストパフォーマンスは高いです。
以前、徳島の某所で2500円くらいの海鮮丼を食べたことがありますが、それは全くダメダメでした。
ここはおすすめできます。
売店では、大浦漁港で当日とれた魚が売られていました。
大浦 です。 古事記に登場する、あの「大浦」がここなのです。
記紀に登場する本当の難波とは、この海岸線を西に向かった津田付近。
『和名抄』に唯一記載されるナニワ、讃岐国寒川郡難波郷です。
阿波の「高志」が地名から消えても学校名などに残るように、この津田地区にも昭和初期まで「難波小学校」がありました。
淡路嶋 いや二並び小豆嶋
いや二並び 寄ろしき嶋嶋
誰れか去れ放ちし 吉備なる妹を 相見つるもの
難波宮の高台からは、淡路島と小豆島が並んで見えるのです。
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さかな市の裏側から撮影した瀬戸内海・播磨灘です。(パノラマ撮影)
左端、逆光の中に見えるのが津田付近の岬。本当の難波津です。
霞んでいますが、その横に小豆島、右端に淡路島。
歌というのは、そこで景色を見ながら詠むのです。
通説の難波の位置では説明がつかないので、「漁民の歌を天皇がパクッた」とか、わけのわからんことを言う者までいます。
マークが「さかな市」の場所。大浦。
ご覧のように、難波宮は、この海岸線にあったのです。
さあ、歴史的な海で、あなたも新鮮な魚をどうぞ。
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