鳥居をくぐり、石門を抜けると石段が続き、前方に狛犬と灯籠が現れます。
先へ進むと、右の斜面に岸壁が続き、左に磐境が並びます。
この案内板を中心に、前後約50メートルにも渡って、板状立石が並んでいます。
その左には二つに割れた巨石があり、それが磐座だったのかもしれません。
この神社の一番すごいところが、ここにあります。
自然地形の中に神性を感じて、巨石に祠を建てたり注連縄を張ることは、全国いたるところで見られますが、ここは正に古代祭祀場の形態を残しています。
神社社殿のようなものがない時代はむしろ、このような、磐境(いわさか)・磐座(いわくら)が、神道祭祀場の姿だったはずです。
日本書紀巻二に、
高皇産霊神 (たかむすひのかみ) 因 (より )て勅 (のり) たまはく、
吾は則ち天津神籬 (あまつひもろぎ )及 天津磐境 (あまついわさか)を起し樹てて、まさに吾孫 (すめみま) の為に斎ひ奉らむ。
と、あります。
今は写真のように荒れ果ててしまい、板状立石も傾いたり倒れたりしたものばかりですが、当然昔日はまっすぐに立ち並んでいたのでしょうし、その様子を想像すると胸が高鳴ります。
磐境の上にも古木が折れて倒れ、トンネル状になっています。
それをくぐって、さらに進みます。
「方面の風穴」 「金鶏の風穴」 という案内板が目に入ります。
「方面の風穴」
この地は剣山の前宮として拝し参拝者の行場であった
「金鶏の風穴」
この穴は清水がありさらに進むと金鶏の像があると伝えられる
金鶏の風穴です。
イメージしてもらうために、2枚の写真を無理やりくっつけています。
この中に、清水と金鶏の像があると 「伝えられる」 のだそうです。
途中までは大人も入れます。
だんだん狭くなり、その先も続きますが、暗さで確認できません。
ここが、天の岩戸のような気がしてきました。
これを出た前には、急斜面の中、テラス状の広場があり、その向こうにも時代は新しいでしょうが石組みで段状に作られた広場が見えます。
斜面のずっと下は川です。
ここで神楽が行われる絵を思い浮かべました。
こう書くと、いくおさんに怒られるかもしれませんが(笑)、私が言っているのは、「人間が作った神話」 の舞台、またはその舞台のモデル的な場所のことです。
これを横目に進むと、上方の断崖下に拝殿が見えてきます。
社殿の前には、見事な蔓の木が断崖の上にまで届いています。
社殿の様子は、『徳島の神社』で。