空と風

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式内社(天椅立神社)比定①  天椅立神社 三好郡東みよし町

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日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 天椅立(あめのはしだて)神社 (論社)

鎮座地 徳島県三好郡東みよし町大字昼間字宮内3266


境内社 荒神社、地主神社、社幣能神社


「羽津大明神」と称せられ、当地第一の大社にして俗に「昼間の大宮」とよばれていた。

明治3年古称に復し、天椅立神社と公称、郷社に列する。      『徳島県神社誌』

元は「宮内」と呼ばれている地域全部が境内で、現在の社殿から100m南に鳥居があったという。


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十六弁菊花紋
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「京伝遺跡」と呼ばれる大規模な弥生初期集落遺跡の真っただ中に鎮座する。
県西部の平野部では、かなり古くから開けていた地域だとわかる。
境内にも古墳のような?地面の盛り上がりが見られる。
この地の発掘調査も予算がなく途中で打ち切られている。


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右下の森が天椅立神社。
吉野川洪水の際、神社の石垣上部まで水が押し寄せたことがあるという。
地図を見て、その洪水の凄まじさを想像してほしい。
この写真で見えている一帯を轟々と濁流が流れるのだ。
川の本流は写真のずっと左である。
現在は水量が減り、堤防が完成しているのでそのようなことはないだろう。
昔は吉野川のそばに住む人はいなかったと思われる。
山よりの高台か、山上に住まなければ命がいくつあっても足らない。
いや、それでも生活のために水辺にすむ必要がある人がいたから、年に一回(台風の時期?)襲ってくるという「八岐大蛇」伝説が生まれたのか?


左に見える山が、「箸蔵山」。
山上に、弘法大師 空海が天長五年(828)に開創した「箸蔵寺」がある。
大杉博氏の説によれば、大国主命の国の拝所だという。


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反対側(箸蔵山ロープウェイ)から、上の写真方向を見たところ。
吉野川と平地の左右に「八重垣」状に山脈が続く。