空と風

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式内社(倭大國玉神大國敷神社)比定③ 倭大国敷神社 美馬市脇町

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日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 倭大國玉神大國敷神社二座 (論社) 倭大国敷神社

 

鎮座地 徳島県美馬市脇町脇町字拝原2404

 

御祭神 倭大國魂命 大國敷命 (徳島県神社誌による)

 

創立年代不詳。
倭大國玉神大國敷神社の比定社としては「医家神社」(池田町)、「倭大國魂神社」(美馬町)があるが、『徳島県神社誌』では医家神社を有力視しているようである。
しかし、その根拠は書かれていない。

 

『阿府志』の「倭大國玉神大國敷神社二座俗に医家大明神と号す、祭紳二座大己貴尊少彦名命・・」という記載の紹介だけがあるので、それを拠り所としているようだ。
『阿府志』とは江戸時代の史料である。

 

地図をながめていて当社を発見したのだが、何故ここが倭大國玉神大國敷神社の比定社になっていないのか、さっぱりわからない。
で、私の個人的判断で論社としてここに紹介した。
上記三社のうち、御祭神が「倭大國魂命」「大國敷命」となっているのは当社のみである。

 

「倭大國玉神大國敷神社二座」という式内社の読み取り方には注意が必要である。
「神社」は現在一般的に「じんじゃ」と読むが、本来は「かみやしろ」「かみのやしろ」である。
現代の感覚で読むと、

 

 倭大國玉神 大國敷 神社 二座

 

と区切ってしまいがちだが(徳島県神社誌での御祭神名を見ても)、正しくは、

 

 倭 大國玉神 大國敷神 社 二座

 

である。

 

 倭(国の) 大國玉神(並びに) 大國敷神(之) 社

 

なのである。
すなわち、正確な御祭神名は、倭大國玉神と、倭大國敷神、である。

 

隣の美馬町には吉野川川中島「中鳥」に式内論社伊邪那美神社が(元)鎮座し、その北東数百メートルの位置に倭大國魂神社が在る。
この倭大国敷神社もその下流川中島「舞中島」の同論社伊邪那美神社の北東に鎮座する。
それぞれの位置関係と距離はほとんど同じである。
とても偶然とは考えられない。

 

この点から見ても、式内社倭大國玉神大國敷神社は池田町の医家神社ではなく、美馬町の倭大國魂神社か当社であり、いつの時代にか二座の神社を分社して隣町に移したと考えるものである。


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鳥居の扁額には「大国敷神社」となっており、「倭」の一字が無い。
そのせいか、地図や地図ソフトにも大国敷神社と記載されている。
ところが、神社関係の様々な資料には「“倭”大国敷神社」と記載されているのである。
徳島県神社誌』を見ても同じだった。
何故、鳥居では「倭」の字を省略したのか、これも不明だ。
これも岩利大閑氏の言う「土民之を知らず」の類だろう。


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小ぶりだが古社の雰囲気漂う拝殿。


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屋根には皇室の十六弁菊花紋が見える。


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境内には合祀されている祠が4社ほど見られるが、どのような神々かわからない。
五角形の地神塔がここにもある。
阿波独特の祭祀形態だそうだが、香川でも所々見かけるし、一部の他県にもあるようだ。
そのうち詳しく調べて紹介したい。


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鳥居から見る伊射奈美尊が眠る「高越山」。



詳しい地図で見る
拡大・縮小、航空写真でも見れます

神社の鳥居マークは、地図では道路の東になっているが、実際は西側。

 

※おお!久しぶりに見たら、上のYahoo!地図の神社の位置が正しくなっている!!
 情報が更新されているんだねえ。
 香川の滝宮神社の地図もアップした時にはマークしか載っていなかったのに
 いつのまにか神社名が入っていた。このブログ見てるのか?
 な、わけないな。


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近くにあった「古墳らしき」盛り土。
この方面はすえドンさんの専門分野で、私の見立ては見当違いかも。

※以下コメント(当時)

 

 医家神社は最近社殿が新しくなりましたネ!!
場所から言うと、高越山・剣山が望めるこの地がとっても気になります(^^~♪
(*⌒▽⌒*)♪ 
2009/3/21(土) 午後 8:53 [ すえドン ] 

 

神社の近くにゴミ処理施設の計画があるようで、反対の旗がいっぱい立ってました。
こんな場所に、やめてほしいですね。 
2009/3/21(土) 午後 11:38 のらねこぶるーす 

 

東拝原古墳だと思います♪
拝原には現在三基の古墳が残っています(^^~
このあたりには拝原遺跡と呼ばれる集落遺跡が発掘されています!!
今日は鳴門の「阿波井神社」へ行っておりました♪
(*⌒▽⌒*)♪ 
2009/3/22(日) 午後 9:19 [ すえドン ] 

 

この写真だけで、どの古墳かが分かるとは流石です。

以前美馬市の広報誌に市内の古墳や遺跡跡の分布図みたいのが載っていたのを見ましたが、驚くほど多かったです。
平野部の半分くらいはマークで埋まってる感じでした。 
2009/3/23(月) 午後 11:58 のらねこぶるーす 

 

倭大国敷神社のすぐ南、新設道路の場所で住居跡遺跡が発掘されており、春日社の北の古墳から北に向かって古墳が並んでいます!!
こんな低い場所にたくさんの古墳があるなんて・・・凄いですよネェ(^^~
昔から古墳を捜して歩いていましたので・・・(^_^)~
(*⌒▽⌒*)♪ 
2009/3/24(火) 午後 10:58 [ すえドン ] 

 

楽しく読ませていただいています。
互角形の地神塔の記事をhttp://kangawa.life.coocan.jp/is2/newpage43.html
で見つけました。素人にもわかりやすかったです。
記事を書いた後でしたらおせっかいでした。 
2013/6/3(月) 午前 9:36 [ じゅんちゃ ]