空と風

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式内社 天都賀佐毘古神社 美馬市美馬町

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日本一社 延喜式式内社  阿波國美馬郡 天都賀佐毘古(あまつかさひこ)神社

鎮座地  徳島県美馬市美馬町轟32

御祭神  級長津彦神(しなつひこのかみ) 級長津姫神(しなつひめのかみ)


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※ 『ウィキペディアWikipedia)』より ※

シナツヒコは、日本神話に登場する神である。
古事記では志那都比古神(しなつひこのかみ)、日本書紀では級長津彦命(しなつひこのみこと)と表記され、神社の祭神としては志那都彦神などとも書かれる。

古事記では、神産みにおいてイザナギイザナミの間に生まれた神であり、風の神であるとしている。
日本書紀では神産みの第六の一書で、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命という神が生まれ、これは風の神であると記述している。
シナトベは、神社の祭神としては志那戸辨命などとも書かれる。~


にも書いたように、徳島は古事記神話の神名がつく式内社古事記に登場する神を祀った式内社が多い。

しかも他県では、古事記の中でも特に有名な神が祀られているケースが多いが、徳島ではありとあらゆる神々が祀られている。
それはちょっと驚くべきほどの数と内容である。
知れば知るほど、記紀の本当の舞台が徳島であるという仮説が確信に変わっていくようである。
私にもっと時間があれば、県内の神社を片っ端から周って、知らない人々に紹介したい願望にかられる。

神道記紀に特に興味がなければ、一般的には聞いたこともないような、あるいはちょっと記紀を読んだだけでは記憶に残っていないような様々な神々が県内いたるところに祀られている。
シナツヒコ」と聞いて、どのような神か即答できる人が、どれくらいいるであろうか?

ネットで検索すると、シナツヒコを祀った有名な神社は、奈良の「龍田大社」と、「伊勢神宮」内宮の別宮である風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮である風宮がある。

龍田大社」に関しては、
延喜式祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。

このブログに書いたように、崇神天皇の母、イカガシコメノミコトとそのまた父(もしくは母)のオオヘツキノミコトが、ともに徳島の神社に祀られており(伊加賀志神社は日本唯一)阿波忌部の人物とみられる。
その崇神天皇が、天御柱命級長津彦命)・国御柱命級長戸辺命)を祀れとお告げされたということは、出身地である阿波のこの神社の神を奈良にも祀れと告げられたという可能性が出てくる。

Wikipedia)には、「国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田に祀らせたとの記事が初見」とある。

当社の由緒書きには
「当社は西暦六世紀以前に創建されたものと思われ、古墳時代後期、美馬郡境のあった大村郷(郡里)一帯の住民及び郡領が崇敬していた神を祭り風災を鎮め五穀豊穣を祈った由緒ある神社でその神威顕著な所から延喜時代式内社に列せられその後郡里の総氏神として盛大な祭が行われていた古社である」
と書かれている。
記述が正しければ、龍田大社よりも100年以上古いことになる。


当社のすぐ北には国指定史跡「段の塚穴」古墳、数百メートル西には白鳳期建立の立光廃寺の遺跡などがあり、当地は古代から、美馬郡の中心として開けていたと考えられている。


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伊勢神宮」に関しては、外宮である「豊受大神宮」に祀られている「豊受大神」が阿波国の別名神である「大宜都比売」と同神であるとされ、伊勢や元伊勢と阿波忌部には深い関係があり、その話もいずれ書きたいと思っている。

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拝殿の屋根は傷んでいる様子で、ブルーシートが掛けられていた。
人口(参拝者)・氏子の多い神社ならば、すぐさま補修されるのだろうが、式内社といえども田舎の悲しさである。
徳島の神社には凄い歴史が隠されているので、県や市はもっと宣伝し金をかけるべきである。
せめて、式内社だけでも保護してもらいたい。
観光化という皮算用があってもかまわない。
忘れ去られるよりも、参拝者が絶えない方が神様もお喜びになられると思う。


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本殿の裏に、二組の3個の石が埋められている。
意味は不明。
共に真中が高い。三柱の神、三位一体、いろいろ想像してしまう。


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境内、拝殿の左側に祀られている「若宮神社

徳島県神社誌』によると、元々当社は現地の約二百メートル西にあったらしい。

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それらしい位置に石碑が立っているが、ここがそうだろうか?
字が消えかかって読めない。
母親に、この神社のことを話すと、
「あぁ。とどろきさんのことえ?」
と言うので、地元では「轟さん」と呼ばれているようだ。

この地は、北に阿讃山脈、吉野川を挟んで南に四国山脈、季節によっては西風が大変強い。

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同町西寄りの、樹齢800年の銀杏の大木は強風で西から東へ大きく曲がっているほど。
神社南付近の吉野川では船の転覆事故も多かったらしい。
「級長津彦神」が実在の人物だった場合、このような地に祀られたために「風の神」とされたのか?
「国生み」「神生み」神話では、実在の人物のほかに、地名や地形、またはその土地の特徴を神名に当てはめたと見えるため、その場合、強風の地である特徴を神格化した可能性もある。
「しなつ」の「津」は水辺であるから、「しな」は「撓う・撓る」のことかもしれない。
「枝が撓う(たわむ)」とは、写真の巨木の様子の如しである。


級長津彦神、 級長津姫神の母である「イザナミ」が祀られている式内社「伊射奈美神社」(日本唯一)
徳島の神社 伊射奈美神社
も、同町にあるということ。

同じく比定社の隣町穴吹町の「伊射奈美神社」も当社からはすぐ目と鼻の先であることからも、イザナミにかかわる物語の舞台を示唆しているようである。