空と風

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麻塚神社 吉野川市鴨島町

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麻塚(おづか)神社


御祭神 天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)


幹線道路から外れ、地元の人間しか通らないような細道沿い、JR徳島本線の踏切近くにぽつんと建つ祠がそれである。
通りかかった人が、たまたまそれを目に留めても、どこにでもある産土神を祀ったものだと思うだろう。

御祭紳の「天比理刀咩命」とは、忌部氏の祖神「天太玉命」(あめのふとだまのみこと)の后神である。
古事記では「布刀玉命」、日本書紀では「太玉命」、古語拾遺では「天太玉命」と表記する。

その「天太玉命」とは、古事記に登場する天津族の一人、高天原元老院の主要メンバーである。
最初に登場するシーンが、有名な「天照大神の天の岩屋隠れ」である。



故、於是天照大御神見畏、開天石屋戸而、刺許母理【此三字以音】坐也。爾、高天原皆暗、葦原中國悉闇。
因此而常夜往。於是萬神之聲者、狹蝿那須【此二字以音】滿、萬妖悉發。

是以八百萬神、於天安之河原、神集集而【訓集云都度比】高御産巣日神之子、思金神令思【訓金云加尼】而、集常世長鳴鳥、令鳴而、取天安河之河上之天堅石、取天金山之鐵而、求鍛人天津麻羅而【麻羅二字以音】科伊斯許理度賣命【自伊以六字以音】令作鏡。科玉祖命、令作八尺勾tama[扁王旁右總]之五百津之御須麻流之珠而、召天兒屋命、布刀玉命【布刀二字以音、下效此】而、内拔天香山之眞男鹿之肩拔而、取天香山之天之波波迦【此三字以音。木名。】而、令占合麻迦那波而【自麻下四字以音】天香山之五百津眞賢木矣、根許士爾許士而【自許下五字以音】於上枝、取著八尺勾tama[扁王旁右總]之五百津之御須麻流之玉、於中枝、取繋八尺鏡【訓八尺云八阿多】於下枝、取垂白丹寸手、青丹寸手而【訓垂云志殿】此種種物者、布刀玉命、布刀御幣登取持而、天兒屋命、布刀詔戸言祷白而、天手力男神、隱立戸掖而、天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲鬘天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而【訓小竹云佐佐】於天之石屋戸伏u[シ于]氣【此二字以音】而、蹈登杼呂許志【此五字以音】爲神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也、爾高天原動而、八百萬神共咲。
 
於是天照大御神以爲怪、細開天石屋戸而、内告者、
「因吾隱坐而、以爲天原自闇、亦葦原中國皆闇矣、何由以、天宇受賣者爲樂、亦八百萬神諸咲。」
爾天宇受賣、白言、
「益汝命而貴神坐。故、歡喜咲樂。」
如此言之間、天兒屋命、布刀玉命、指出其鏡、示奉天照大御神之時、天照大御神、逾思奇而、稍自戸出而、臨坐之時、其所隱立之天手力男神、取其御手引出、
布刀玉命、以尻久米【此二字以音】繩、控度其御後方、白言、「從此以内不得還入」

故、天照大御神出坐之時、高天原及葦原中國自得照明



弟、素戔鳴尊高天原での狼藉に、大いに御怒りになった天照大御神は、天の岩屋に入り、堅く岩戸を閉じてしまわれた。
このため、高天原は真暗闇となり、善神は影を潜め、悪神が横行し不幸や禍いが多発した。

これを憂いた神々は、天照大御神を天の岩屋から出すため、思金神のもと天の安河の原に集まり協議した。
常夜の長鳴鳥を集めて一斉に泣かせ、伊斯許理度売命八咫鏡を作り、玉祖命八尺瓊勾玉を作り、天の香具山から採ってきた榊を取り付けた大きな幣に飾り付けた。

天児屋根命は、大きな声で祝詞を上げ、天太玉命は、玉串を立て榊の前で礼拝した。

天宇受女命は、伏せた桶の上に乗り、衣服が乱れ肌もあらわに足を踏み鳴らし踊り狂った。
高天原随一の力持ち天手力男命は、天の岩戸の脇に隠れ、岩戸開きの時を待った。
八百萬の神々は、沸きに沸いて笑いころげ、高天原は大騒ぎとなった。

この騒ぎを不審に思われた天照大御神は、天の岩戸を少し開け、
   「今、高天原葦原中国も暗く、みな困っているはずだ」
   「なぜ、楽しそうに騒いでいるのか」
と尋ねられ、天宇受女命が
   「あなたより優れた尊い神がおられますので、みなが喜び、こうして楽しんでおります」
と答えた。

このとき、天児屋根命天太玉命が差し出した八咫鏡に自分の姿が映ったので、天照大御神は不思議に思い、天の岩戸から少し身を乗り出した。
岩戸の脇に隠れていた天手力男命は、すかさず進み出て、天照大御神の手をしっかり握り天の岩戸からお出しした。

その後、天太玉命が、天の岩戸の前に注連縄を張り
   「もうこの中に御戻りになることはできません」
と言った。
こうして、暗かった高天原葦原中国も、再び明るくなり、悪神は何処へとも立ち去り、平穏となった。


と、祭祀族としての忌部氏のルーツを窺わせる活躍をしている。
その後、天孫降臨の際、瓊瓊杵尊の五伴緒(いつとものを)の一人として、共に葦原中国に降臨した神である。



※ 「日本の建国と阿波忌部」より ※

~『鴨島町誌』によれば、「麻塚(おづか)神社」の祭紳は、天太玉命の后神で、天日鷲命(阿波忌部の祖)の兄弟神である天比理刀咩命、とある。

古語拾遺』によると、阿波忌部の一部は、天富命に率いられ黒潮で房総半島に渡来し、故地の地名にちなんで「安房」(阿波)と名付けた。

その旧安房国の領域である千葉県館山市には、天比理刀咩命を主祭紳とする洲埼の「洲埼神社」、洲宮の「洲宮神社」がある。

「洲埼神社」の宮司口伝によると、渡来した阿波忌部族は、洲埼に上陸後、

故地に似たる地形を探し、洲宮神社」を創建したと伝えられている。

天比理刀咩命を主祭紳とする神社が他県にはないことから考えると、その故地とは、鴨島町東部の向麻山北麗一帯の当地付近ではなかったかと推測される。~



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洲宮神社と洲埼神社

阿波と安房
※徳島出身千葉県民の森さんのHPです。
 行きたくてもなかなか行けない千葉・茨城の阿波関連の神社が数多く掲載されています。


ちなみに、「洲埼神社」と同じく「安房国一之宮」と称される「安房神社」の主祭神は、天太玉命相殿神が、天比理刀咩命となっている。

古事記などに登場するスター級の神々は、けっこう全国的に祀られているものである。
この場合でいえば、忌部の祖である「天太玉命」だ。
しかし、そういった神々の家族・親族といった神々を、何の関係もない土地が勧請して祀ることは考えづらく、例も見当たらないものである。


先に「伊加賀志神社」「御所神社」のところで、8代孝元天皇、9代開化天皇の后で、10代崇神天皇の母である「伊加賀色許賣命」、その父である「大麻綜杵命」を紹介した。

ここでは更にさかのぼって、高天原族、天孫瓊瓊杵尊の五伴緒族である神の后神である。
九州の神々、そこから東征したとされる畿内天皇家に、代々「阿波の女性が嫁いでいた」だけ、というような関係がありえるだろうか?
建国の歴史に何一つタッチしていないとされる四国からである。
そう考える方が不自然なのだ。


こんな質素な社が、実は安房国一之宮の「元宮」であり、全国唯一の存在だとすれば、この地が天太玉命、忌部本家、果ては古事記の舞台につながっているという連想は、当然の帰結なのである。