空と風

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御所(五所)神社 吉野川市鴨島町

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御所(ごしょ)神社

別名、「瑜伽(ゆうが)神社」とも呼ばれる。

鎮座地 徳島県吉野川市鴨島町麻植塚字堂の本921

御祭神 大麻綜杵命(おおへつきのみこと) 



大麻綜杵命は、10代崇神天皇の外祖父。
母である伊加賀色許賣命
延喜式式内社 伊加賀志神社
の父君(『先代旧事本紀』による。『日本書紀』では母)にあたる。



※ 「日本の建国と阿波忌部」より ※

~『麻植郡郷土誌』によれば、

「祭神大麻綜杵命を祀る」
「阿波風土記曰く、天富命は、忌部太玉命の孫にして十代崇神天皇第二王子なり、
 母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり
 大麻綜杵命(おおへつき)と呼びにくき故、麻植津賀(おえづか)、麻植塚と称するならんと云う」
(「麻植塚」は古墳名。また、現在も残る地名・駅名 )

「阿波風土記に曰く、大麻綜杵命の母は伊香色謎命なり按するに大麻綜杵命は阿波忌部族なるべし~」とある。

また『かもじま町の歴史と豊かな文化財』には、
大麻綜杵命は忌部の氏人の祖神」とも書かれている。

林博章氏は、これら『麻植郡郷土誌』の記述から、
・・・この「大麻綜杵命」は、『阿波風土記逸文から推察すると、「伊香色謎命」ので阿波忌部族、・・・であることが分かる」
とし、祭神の由来を神社の南、向麻山の麓にあった麻搗石(おつきいし)・麻晒石(おざらしいし)と呼ばれた巨石磐座遺跡にあると考えられる。~

と記している。



「大綜杵命」は文献によって「大綜杵命」とも「大綜杵命」とも書かれている。
先代旧事本紀』(天孫本紀)によれば、

大綜杵命は、饒速日命五世の孫で、父は大矢口宿禰、母は坂戸由良都姫。
孝元天皇の時代、大禰となり、ついで開化天皇の時代に大臣となった。
高屋阿波良姫をめとり、伊香色謎(開化皇后)、伊香色雄を生んだ、とされている。


 五世孫-鬱色雄命.
  此命,輕境原宮御宇天皇御世,孝元.拜為大臣,奉齋大神.
  活馬長沙彥妹-芹田真雅姬為妻,生一兒.
  妹,鬱色謎命.此命,輕境原宮御宇天皇,孝元.立為皇后,誕生三皇子.
  則,大彥命.
  次,春日宮御宇天皇.開化.
  次,倭姬命是也.
  春日宮御宇天皇尊皇后曰-皇大后,磯城離宮御宇天皇,崇神.尊為-太皇大后.
  弟,大綜杵命.此命,輕境原宮御宇天皇御世,孝元.為大禰.
  春日率川宮御宇天皇御世,開化.為大臣,則皇后‧大臣奉齋大神.高屋阿波良姬為妻,生二兒.
  弟,大峰大尼命.此命,春日宮御宇天皇御世,開化.為大尼供奉.其大尼之起,始發此時矣.

 六世孫-武建大尼命.鬱色雄大臣之子.此命,同天皇御世,開化.為大尼供奉.
  孫妹,香色謎命.大綜杵大臣之子伊.此命,經境原宮御宇天皇御世,孝元.立為皇妃.
  誕生,彥太忍信命也.
  天皇崩後,春日宮御宇天皇,開化.即以庶母立為皇后,誕生皇子.
  即是,磯城瑞籬宮御宇天皇也.崇神.
  崇神天皇御世.尊為-皇太后,纏向天皇御世,垂仁.追贈-太皇太后.
  弟,伊香色雄命.大綜杵大臣子.此命,春日宮御宇天皇御世,・・・


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先代旧事本紀』では、このように、大綜杵命は伊香色謎命とされている。



※ 私流に種明かしをするとこうである ※

麻植郡郷土誌』著者はは『阿波風土記』を読んで、

「母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり」

の部分を「母は伊香色謎命」「大麻綜杵命(は、その)娘なり」と読み違え

「阿波風土記に曰く、大麻綜杵命の母は伊香色謎命なり」と記した。

林博章氏も、それをそのままに解釈した、ということだろう。


私も読んで、最初からおかしいと思った。

「母は伊香色謎命にして大麻綜杵命娘なり」とは、

天富命は、忌部太玉命の孫にして、十代崇神天皇第二王子であり、

天富命の)母は伊香色謎命にして、(その伊香色謎命は)大麻綜杵命(の)娘なり

と読んだからである。


大麻綜杵命」は「伊香色謎命」の「娘」ではなく「親」だろうと考えた。
そこで、このブログでも、これまで「大麻綜杵命は伊香色謎命「母」(または娘)」と書いていた。
(または)というのは「文献によっては」という意味で、この文を書くときに詳しく書くつもりだった。

先代旧事本紀』の系図が正しければ、「母」ではなく「父」である。
どちらにせよ、阿波忌部と皇室の関係を考える上で重要な神社である。
そもそも、全国的に残る阿波忌部進出の痕跡として「大麻」「麻」などの字を含んだ「地名」「人名」「神社名」がある。
大麻綜杵命」の名からして、阿波忌部の人物であることを証明しているかのようである。
さらに、「大綜杵命」の后が「高屋阿波良姫」という名であるのが意味深ではないか?

先代旧事本紀』に名が記される際、阿波忌部の痕跡を消すべく「麻」の一字を故意に消したのではないか?という邪推も働くのである。


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石碑では「大麻綜杵命」を「崇神天皇第三王子」としている。
どこから“持ってきた”系譜なのか?不明である。
天富命」と、こんがらがってるのかしらん?

まだまだ勉強不足ゆえ、新情報が入ったら更新したい。

(追記予定あり。もう寝る・・)